心理学実験が教える「意外な反応」
数十年前、ある大学で興味深い実験が行われました。
テーマは「破傷風」です。
教授は学生たちを集め、
破傷風の危険性を説明したパンフレットを配布しました。
そして予防注射を受けるよう促したのです。
ただし、この実験には仕掛けがありました。
パンフレットは2種類用意してあったのです。
一つは、破傷風に感染した患部の写真が
掲載されているもの。
腫れ上がった傷口、変色した皮膚、
見るだけで背筋が凍るような画像です。
もう一つは、同じ文章内容でも画像が無いもの。
文字だけで淡々と
破傷風のリスクを説明したものでした。
さて、どちらのパンフレットを読んだ学生が
予防注射を受けたと思いますか?
答えは明白。
恐ろしい画像を見た学生たちの方が、
圧倒的に予防注射を希望したのです。
人は恐怖を感じると、
その恐怖から逃れるために行動を起こす。
これは心理学では当然の結果です。
あなたにも異論はないでしょう。
現に私たち歯科医師も、
患者に歯周病の進行した口腔内写真を見せたり、
虫歯の深刻さを説明したりすることで、
治療への動機づけを図っています。
ところが、です。
実はこの実験には、もう一つの仕掛けがあったのです。
そして、そこに驚くべき結果が隠されていました。
恐怖を与えても、人が動かない…
実は、恐怖の画像が入ったパンフレットにも
2つのバージョンがあったのです。
一つは、予防注射の具体的な受け方が
詳しく書かれているもの。
午後1時から4時まで、破傷風の予防注射を
受け付けています。予約不要、所要時間5分」
といった具合に。
もう一つは、「予防注射があります」
とだけ書かれているもの。
どこで受けられるのか、
いつ行けばいいのか、
何を準備すればいいのか、
そうした情報は一切ありませんでした。
結果は、教授の予想を超えるものでした。
恐怖の画像を見たが、具体的な行動手段を
知らされなかった学生の予防注射接種率は、
画像なしパンフレットを読んだ学生と
ほぼ同じだったのです。
つまり、恐ろしい画像を見て震えたはずなのに、
「どうすればいいか」が明確でないと、
人はまったく行動を起こさなかったのです。
教授はこう結論づけています。
「恐怖を与えられ、危険が示されていても、
明確で具体的、効果的な危険回避手段が伴わないと、
対象者はその情報を遮断したり、否認することで、
恐怖と危険に対処することがある」
そして、その結果…「人は恐怖に対して麻痺してしまい、
まったく何の行動も取らなくなる」というのです。
恐怖は人を動かす。しかし、
行動の道筋が見えなければ、人を凍りつかせる…
この実験は、
コミュニケーションにおける重要な真実を
私たちに教えてくれています。
歯科医院での患者対応も同じ
この実験結果を知ったとき、
歯科医院での日常臨床を思い浮かべました。
なぜなら、
同じことが診療室で起きているからです。
たとえば、歯周病の患者に対して
こう説明したことはありませんか?
「入れ歯を入れることなりますよ」
口腔内写真を見せながら、赤く腫れた歯肉、
深くなった歯周ポケットの数値、
動揺している歯…
患者は深刻な表情で頷きます。
「わかりました。治療を受けます」
しかし、です。その患者は次回、
予約通りに来院するのでしょうか?
提案した歯周病治療を受け入れるでしょうか?
多くの場合、答えは「NO」です。
「わかりました」と言ったのに…
破傷風の心理実験と同じ構造です。
あなたは患者に恐怖を与えました。
しかし、具体的な回避手段を
示さなかったのです。
「歯周病治療をしましょう!」
これだけでは、
破傷風実験の「予防注射があります」と
同じレベルの情報でしかありません。
患者が本当に知りたいのは、
以下のようなことです。
– 1回の治療時間はどれくらいか
– 痛みはあるのか、どの程度なのか
– 費用はいくらかかるのか
こうした具体的で明確な行動の道筋が見えないと、
患者の中では恐怖だけが残ります。
すると、人間の防衛本能が働くのです。
「きっと、他の人ほどひどくないはずだ」
教授が指摘した「否認」と「遮断」です。
恐怖に麻痺した患者は、あなたの説明を
心の奥に押し込め、何も行動しなくなるのです。
自由診療の成約率が上がらない本当の理由
この構造は、
自由診療の提案場面でさらに顕著になります。
インプラント治療、セラミック修復、矯正治療…
あなたは患者に、保険治療のリスクや限界を説明します。
そして、自由診療のメリットを伝えます。
しかし、患者はこう言うのです。
「少し考えさせてください…」
患者の頭の中は、
恐怖と不安でいっぱいだからです。
こうした恐怖に対して、
明確で具体的な解決策を示さない限り、
患者は決断できません。
いや、正確に言えば、
決断しないという決断をするのです。
あなたの技術がどれだけ優れていても、
治療の質がどれだけ高くても、
患者に行動(決意)してもらえなければ、
何も始まりません。
破傷風実験の教授が示したように、
恐怖だけを与えて具体的な行動手段を示さないことは、
何も伝えないことと同等の結果を生むのです。
「わかりやすく伝える」という当たり前の真実
裏返して言えば、これは至極当たり前のことです。
患者にわかりやすく治療方法を伝えれば、
患者の恐怖や不安を和らげることができる。
ただそれだけのことなのです。
しかし、私たちはこの「当たり前」を
どれだけ実践できているでしょうか?
専門用語で説明していませんか?
治療のステップを曖昧にしていませんか?
患者が本当に知りたいことを、想像できていますか?
破傷風の心理実験は、私たち歯科医師に
重要な示唆を与えてくれています。
恐怖を伝えることは必要です。しかしそれと同時に、
患者が安心して行動できる具体的な道筋
を示さなければならないのです。
患者の「行動スイッチ」の入れ方
では、明日からの診療で
何を変えればいいのでしょうか?
答えはシンプルです。
必ず具体的な解決策もセットで伝える
これだけです。
たとえば、歯周病治療を提案するなら、
こう伝えてみてください。
「治療は全部で5回、1回30分程度の予定です。
麻酔をしますので痛みはほとんどないでしょう。
費用は保険適用で1回あたり3,000円前後。
治療開始後2週間ほどで徐々に歯肉の腫れが引き始め、
3ヶ月後には歯周ポケットの数値も改善します」
このように、
回数、時間、痛み、費用、効果、期間といった
患者が不安に感じる要素を、
すべて具体的な数字で示すのです。
そして、もう一つ。
次に患者が取るべき行動を、明確に伝えるのです。
「では、来週の火曜日に治療の予約を入れましょうか」
「まずは精密検査をして、詳しい治療計画を立てましょう」
破傷風実験の学生たちが、「いつ、どこで、どうやって」
予防接種を受けられるかを知ったときに初めて行動したように、
患者も「次に何をすればいいか」が明確になって、
初めて治療を受け入れることができるのです。
今日、あなたの歯科医院で、
患者に治療を提案する場面があったら、
こう自問してみてください。
「患者が安心して行動できる道筋を、示せているだろうか?」
この小さな意識の変化が、あなたの言動を変え、
患者の行動を変え、治療の成約率を変え、
あなたの歯科医院の未来を変えていきます。
まずは次の患者説明で、治療のステップを
箇条書きにしたメモを渡してみてください。
それだけで、
患者の反応が変わることに気づくはずです。









