「理論より行動あるのみだ!」
起業家向けのセミナーでの話です。
講師を務めた若手経営者が
会場を見渡しながら、力強くこう言い放ちました。
『理論より行動あるのみだ!』
『それだけが成功を分ける!』
会場からは大きな拍手が起こり、
参加者たちは目を輝かせてメモを取っていました。
確かに熱量があって魅力的な言葉です。
数字や理屈にとらわれず、勇気を持って行動する…
起業家精神を象徴するようなカッコイイ響きがありますよね。
迷いを捨てて前に進む。思考よりも行動を優先する。
あなたも歯科関連のセミナーで
似たような言葉を耳にした経験はありませんか?
「思い切って高額の医療機器を導入しろ!」
「迷わず自由診療に特化しろ!」
「広告宣伝費は思い切って使え!」
こういった”熱い”メッセージは
疲弊した院長の心に強く響くものです。
実際、ウジウジと悩んでばかりで
行動を起こさない人には必要な言葉かもしれません。
「悩んでばかりいないで動け!」
という意味では、その通りでしょう。
しかし、ちょっとした違和感も覚えました。
私自身、これまでに数多くの経営セミナーに参加してきました。
そこで耳にする言葉の多くは耳障りがよく
希望を与えてくれるものばかりです。
それらの魅力的な言葉が全て真実であるなら、
一般的な業種で起業したビジネスの10年生存率が
10%以下であるのはなぜでしょうか?
確かに歯科医院経営ではそこまでの数字にはなってはいません。
それでも、保険診療だけでいうなら、
歯科医療機関1医院あたりの平均診療報酬額:約5,000万円/年に
届いていない歯科医院が全体の7割近くを占めます。
もちろん「やるかやらないか」という行動力の重要性は否定しません。
歯科医院経営において、決断力と実行力が重要なのは間違いないのです。
問題は、そうした魅力的なフレーズが
あたかも”普遍的な真理”として語られることです。
行動力の重要性を差し引いたとしても、
成功例をより印象的、劇的に話すことや
失敗例を矮小化したり、全く触れなかったり
というのはどうなのでしょう?
あなたもご存知の通り、現在の歯科医院経営は
以前(40年以上前)のような超絶イージーモードではありません。
むしろ非常に厳しい業界となってしまいました。
・人口減少による患者数の減少、
・激減している生産年齢人口に起因する人件費高騰
これら環境下で数値や理論、原理原則を無視した経営をしたら
どこかで破綻するのは目に見えています。
諺でもこう言っています。
『口に甘いは腹に毒』
カッコいい言葉や耳障りの良いフレーズに
惑わされてはいけない、ということです。
さらに言うなら、あなたは日々の診療で
客観的事実やデータ、原理原則などを無視しますか?
カリエスの進行度を二の次にして、とりあえず削る…
などという治療はしないはずです。
同じように、歯科医院経営でも
客観的事実やデータを無視した判断は
長期的な安定・成長を脅かします。
では「データや原理原則を考慮した経営」とは
具体的に何を意味するのでしょうか。
“成功の幻想”とその現実
歯科業界で厄介なことの一つは、
データや原理原則を無視しても
成功する歯科医院が実際に存在することです。
最新の高額医療機器を導入した途端、
患者が殺到した歯科医院。
思い切って全面リニューアルしたら
自由診療が急増した医院。
こうした「成功物語」は
手がけた業者の宣伝広告の材料として取り上げられやすく、
羨望の的となります。
たとえば、月商1500万円を達成した先生の歯科医院に
あなたが見学しに行ったとしましょう。
その際に院長先生が、こういう発言をすることがよくあります。
「私は患者のニーズなんて調べませんでした。
自分が良いと思った治療をとにかく勧め続けただけです。」
しかも、この院長先生には全く悪気がなく、
このことが成功した最重要ポイントだったと
思い込んでいたらどうでしょう。
親切心からにこやかに、実行することを勧めてくるはずです。
見学会に同行した他の院長先生たちは
熱心にメモを取っていたりもします。
あなたも目の前にいる”成功した院長先生”を見て
「自分の歯科医院でもやってみるかぁ!」
となってしまいそうではないですか?
でも、ちょっと待ってください。
同じアプローチで自由診療を勧め続けて患者に敬遠され、
来院患者数が激減した院長先生を私は何人も知っています。
成功した院長先生の話だけが表に出てくるから、
そのやり方が「正解」に 見えてしまうのです。
これを生存者バイアスと言います。
歯科業界誌に載るのは成功事例ばかり。
歯科ディーラーの営業担当が持ち込む話も
基本的にはうまく行った歯科医院の話。
最新機器を導入して失敗した院長先生の話は
なかなか聞こえてきません。
しかし、実際には、
成功した歯科医院と同じことをして失敗した
多くの歯科医院が存在しています。
高額機器のリースに苦しむ姿や、
借金をして行ったリニューアル費用の返済に
四苦八苦する院長先生の姿は表に出てきません。
この「生存者バイアス」が
歯科医院経営の落とし穴なのです。
あるセミナーで感銘を受けた経営手法を
自院に導入したものの、
まったく成果が出ずに悩む院長は少なくありません。
なぜこうしたことが起こるのでしょうか?
それは単純に、
環境や条件がまったく異なるからです。
例えば、都心の駅前で成功した
インプラント専門クリニックの手法を
郊外の住宅地のファミリー向け医院が
そのまま真似しても成功する確率は低いでしょう。
患者層、立地条件、競合状況、
そして何より院長先生ご自身の
得意分野や人柄まで考慮した戦略が必要です。
「成功事例に学ぶことは大切です。
でもそれをそのまま複製するのではなく、
自院に合わせた”翻訳”が必要なのです」
これは私がコンサルティングで
最も強調している点の1つです。
長期安定経営を実現するには?
私は15年以上にわたり
200以上の歯科医院の経営実態に関わる中で
ある明確なパターンを発見しました。
長期間安定している歯科医院の構築に成功した
院長先生たちには共通した思考様式があるのです。
それは「確率論的思考」とでも呼ぶべきものです。
具体的な例を見てみましょう。
長期安定している歯科医院の院長先生は
新しい治療機器を導入する際、こう考えます。
投資回収に必要な月間症例数は現実的に達成可能か
導入後3ヶ月、6ヶ月、1年後の想定はどうなるか
このように複数の視点から冷静に分析し、
数値結果を計算/想定した上で判断を下しているのです。
対して、短命に終わる歯科医院の多くは
「○○先生も導入して成功したと聞いたから」
という感情的な理由で大きな投資を決断します。
また、長期安定している歯科医院には
もう一つ重要な特徴があります。
それは
「小さく始めて、成功を確認してから拡大する」
という手法です。
例えば、新しい自由診療メニューを
いきなり大々的に宣伝するのではなく、
まず数名の信頼できる患者に提案し、反応を確かめます。
手応えがあれば少しずつ対象を広げ、
問題があれば修正する。
この「スモールステップ戦略」は
投資リスクを最小限に抑えながら
成功確率を高める方法なのです。
さらに、長期安定している歯科医院では
「この方法がうまくいかなかったらどうするか」
というプランBを常に用意しています。
確率論的思考とは、要するに
「慎重に、しかし着実に」という
地味だけれど確実な道を選ぶことなのです。
今日から”確率論的思考”の導入法
「理論やデータより行動あるのみだ!」
こういったカッコいい言葉を聞いたとき、
院長先生、ぜひこう考えてください。
「本当にそうだろうか?」
経営セミナーや書籍で目にする
耳障りの良いフレーズほど
疑ってみる必要があります。
では、具体的にどうすれば
理論やデータに基づく思考を自院の経営に
取り入れられるでしょうか。
まず、小さな実験から始めましょう。
新しい取り組みを検討している場合、
全面展開する前に「テストケース」を作ります。
例えば、予防歯科に力を入れたいなら、まずは
30人程度の患者グループに新しいアプローチを試す。
結果を数値化して検証し、
うまくいった部分と改善点を明確にしてから拡大する。
これがデータを味方につける第一歩です。
次に、意思決定の前に必ず
「成功確率を下げる要因」を書き出しましょう。
「この新サービスが失敗する理由は?」
「どんな条件がそろうと成功率が下がるか?」
このような逆説的な問いが
思わぬリスクを発見させてくれます。
最後に、同業の院長先生方との
情報交換を大切にしてください。
ただし、成功事例だけでなく
失敗事例こそ貴重な学びの源です。
「理屈より行動あるのみ」という言葉は
確かに魅力的です。
しかし、長期的に安定した歯科医院経営には
「行動するからこそ、客観性やデータを味方につける」
という姿勢が不可欠なのです。
院長先生、明日からの診療で一つでも
小さな「理論やデータに基づく実験」を
始めてみませんか?
その積み重ねが、5年後、10年後の
あなたの歯科医院の姿を大きく変えていくのです。